第46回全国高校野球選手権大会

甲子園大会一回戦(8月11日)


さあ甲子園に来た。早鞆ナインは張り切っていた。だが別に気負った様子はみられなく、まったく予選と変らぬ試合ぶりだった。
そして見事な速攻をみせた。紺谷久が四球で出ると尾籠が手堅く送った。古田はすかさず左中間二塁打して楽々と先取点。しかも打った古田は抜目なく三盗。続く中村の右前安打でもう1点追加した。
2回は二死からだった。荒木が遊ゴロ失、竹内が三塁右に安打、紺谷久、尾籠が左右へうまく打ち分けさらに古田が連続二塁打して合計3点。もうここで勝負あったのである。あとは8回まで合わせて15安打を海星投手陣に浴びせ快勝した。亀井ものびのびと投げた。

甲子園大会二回戦(8月15日)


2-2で迎えた9回、二死後紺谷久がうまいバントヒットを決めた。これで勝利の女神は早鞆に味方した。尾籠が四球を選んで一、二塁。ここでもっとも頼りになる打者古田が出てきた。期待の古田は中前へ適時打して早鞆はサヨナラ勝ちした。みごとな勝利だった。
先手を取ったのは早鞆だった。四回、紺谷宏が三塁線二塁打、坤徳のバントで三進、作新はここで石川から吉成へスイッチしたが亀井はストレートの四球で一、三塁。荒木は初球をスクイズ・バントして1点。つづく竹内の遊撃内野安打を野手が一塁に高投する間に亀井もかえって2点をあげた。作新も五回に早鞆守備陣の乱れから一度は同点にこぎつけたが、その後は亀井の力投に沈黙し惜しい試合を逃した。

甲子園大会準々決勝(8月16日)


海南は1回に先制のチャンスを迎えながら拙攻でつぶし、反対に早鞆は2回のチャンスをうまくものにした。これが結局勝敗の分かれ道となった。
早鞆は紺谷宏、亀井の四死球で好機をつかみ荒木、竹内の下位打線が打って3点を先取した。4回にも代った川端投手の立ち上りを攻め古田、中村が打って加点、8回には中村がとどめの本塁打を左越えに放って勝負を不動にした。
大量点に気をよくした亀井は、慎重にコーナーを投げ分け、海南の反撃を最終回の1点に押えた。それにしても早鞆の試合ぶりは初出場チームと思えないほどの落ち着きがあり、優勝候補として大きく浮び上ってきた。

甲子園大会準決勝(8月17日)


亀井の好投と中村の好走で勝った。早鞆は6回中村が三塁の左を痛烈に破る二塁打して紺谷宏の捕前バントで三進、坤徳の三塁ゴロが一塁に送球される間に中村は好走よく本塁を陥れた。この判断が貴重な決勝点となった。
試合は岐阜商脇田、早鞆亀井両投手の投げ合いで息づまる投手戦を展開したが、波に乗る早鞆にやはり勝運があった。亀井は1点を守って実によく投げた。やや連投の疲れが出ていたが、これを気力で補ったのはりっぱだった。早鞆の決勝進出で地元下関はわきかえり、早くも優勝の準備が進められた。

甲子園大会優勝戦(8月18日)


センターポールに高知の校旗が高々とひるがえった。早鞆の応援席はみな泣いた。下関でテレビ、ラジオにかじりついていたファンの表情も一瞬暗いものが走った。早鞆は高知に惜敗した。
お得意の速攻は早鞆に出ず、高知に出た。初回トップの岡本が四球に歩き、浜田の送りバントは内野安打になった。これまで早鞆にあった勝運が逃げたようだった。3番坂本の右前安打で無死満塁、門田の三ゴロで岡本は本封したが捕手中村の一塁送球が悪投となり浜田が二塁からかえった。さらに二死後打者武村のときあざやかな本盗を成功させた。早鞆にとってはまったく惜しい失点だった。
この大会を通じて初めて先手を取られた早鞆は、2回以後亀井が立ちなおりを見せ、反撃のチャンスを待った。だが高知光内投手懸命の力投に看板の強打もすっかり鳴りをひそめてしまった。わずかに9回の裏、一死後尾籠四球(代走森本)古田左前安打、中村四球と一死満塁の絶好機を迎えたが紺谷宏は三振、坂本二ゴロで万事休した。最後まで高知に食い下り実にりっぱな優勝戦らしい試合だった。応援団席の前に整列したナインの目がうるみ、がっくりと肩を落した姿が印象的だった。だが甲子園球場を去る早鞆ナインへは優勝した高知にも増す拍手の嵐が贈られた。 

大会総評

 

 第46回全国高校野球をふり返って、まず第1の印象は、山口県大会、西中国大会、甲子園大会を通じチーム力が非常に充実していたということである。そのため予選の1回戦から甲子園大会までずっと好試合の連続だった。 チーム力の充実は特に山口県でいちじるしいものがあり、前回大会いらい県内のレベルが全国的にもトップをゆくものであることを、われわれはこの目で確かめることができた。県内のレベルがここまで到達したのはやはり昨年の下商の活躍によるものだろう。県内の各チームが打倒下商を目ざしてがんばったからこそレベルも大いにあがったのである。そして、この打倒下商をりっぱに果たし甲子園に初出場、しかも準優勝を成しとげた早鞆は実にりっぱというほかはない。この大会は早鞆が常に話題の中心だった。全国的にもレベルの高い激戦地西中国の代表ということで相当の期待は持たれていた。しかも各チームの実力が伯仲していたから、見方を変えればどのチームも優勝がねらえたのである。だが、あれよあれよという間に優勝戦まで進出した早鞆は、参加30チームの中でもきわだった存在だったといえる。
 投・攻・守と三拍子そろった早鞆は高校チームとしては申し分なかった。まったくアナのないチームというのは30チームの中でも早鞆をおいて他になかったろう。まず投手では亀井(早鞆)、光内(高知)、阿部(花巻商)が筆頭クラス。亀井は5試合を完投、45回を投げ抜いて被安打26本、与えた四死球8個、奪った三振18個、失点6、自責点1、防御率0.20と圧倒的な成績である。これからみても亀井の好投ぶりがうかがえるのだが、これだけの好成績をあげることができたのも打たせてとる彼のピッチングに対し鉄壁の守備で彼をたすけた内外野の堅実な守備陣があったからである。この年は、各チームとも好守備を誇っていたが、ここでも早鞆のそれは図抜けたものがあった。内野は古田遊撃手を中心に三塁尾籠、二塁荒木も地味だが確実であったし、外野は俊足の紺谷兄弟が早い出足とカンのいいプレーで再三難球を処理していた。
 この守備があったからこそエース亀井も予選を通じ12試合を投げ抜くことができたのである。もし亀井が力で打者に立ち向かい、強引に打ち取ろとろうというピッチングをしていたならあれまでやれなかったろう。バックスへの信頼感は絶対なものだった。つぎに攻撃陣だが優勝した高知はチーム打率わずか1割7分9厘だった。この低率で優勝できたのはチャンスを確実にものにするしぶとさがあったからだといえる。準優勝の早鞆は準決勝まで3割のチーム打率を誇り、参加チームの中でもナンバー・ワンの強力なものだった。しかし、決勝でわずか2安打しか打てず高知光内投手の力投に屈した。やはり決勝戦という独特の雰囲気にのまれたのだろう。早鞆の試合で惜しまれるといえばこれ以外にない。
 全体的にみて総合力に優っていたのは優勝できなかったといえダークホースぶりをいかんなく発揮した早鞆がまず筆頭。打ってよし守ってよし、走ってよし文字どおりスキがなった。最後になって勝運から見放されたのは残念である。チーム・ワークもよくもっとも高校生らしいチームだったが、大会中、グランドや宿舎でも常にマナーがよくたびたびほめられたのもこのチーム・ワークのよさからきているものにほかならない。すべてに早鞆が焦点になった大会といえよう。

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